偉人・学者から学ぶ | ヴィクトール・フランクル

監修

公認心理師による解説

障害福祉15年・カウンセリング累計300名以上の臨床経験/こころの相談室いしずえ運営

平日は、考える暇もないほど忙しい。 なのに、日曜日の午後になると、理由もなく気分が沈む。 予定のない連休は、楽しみよりも不安のほうが大きい。 「自分は何のために働いているんだろう」という問いが、ふと浮かんでは消える——。

この感覚に名前をつけた精神科医がいます。 『夜と霧』の著者として知られるヴィクトール・フランクルです。

ヴィクトール・フランクルと『夜と霧』

フランクル(1905–1997)は、オーストリアのウィーンで活動した精神科医です。 第二次世界大戦中、ユダヤ人であったために家族とともに強制収容所に送られ、 両親や妻を失いながら、自身は生き延びました。

戦後すぐに書かれた『夜と霧』(原著1946年)は、 収容所での体験を心理学者の目で記録した本で、世界中で読み継がれています。 フランクルはこの経験をもとに、人が生きる意味を見出すことを支える心理療法「ロゴセラピー」を体系化しました。

「実存的空虚」——意味の空白

フランクルは、人間の根本的な動機は快楽や権力ではなく、意味を求める意志だと考えました。 そして、この意味が見えなくなった状態を実存的空虚と呼びました。

実存的空虚は、激しい苦しみとしてではなく、退屈、無気力、なんとなくの空っぽさとして表れるのが特徴だとされます。 このサイトの空虚感の記事で扱っている 「心が空っぽな感じが続く状態」は、この実存的空虚とよく重なります。

「日曜神経症」——忙しさが途切れたとき

フランクルは、実存的空虚の表れの一つとして、日曜神経症という言葉を使っています(『夜と霧』英語版の後半に加えられたロゴセラピーの解説より)。 忙しい1週間が終わり、慌ただしさが途切れた日曜日に、 自分の生活の中身のなさに気づいて気分が沈む状態のことです。

支援職に置き換えると

  • ・平日は利用者のことで頭がいっぱいで、空虚さを感じる暇がない
  • ・休日になると、何をすればいいかわからず、落ち着かない
  • ・結局、仕事のことを考えたり、仕事の準備をしたりしてしまう
  • ・長い休みや、異動・退職で仕事が途切れると、自分が空っぽに感じる

忙しさは、空虚さを消しているのではなく、見えなくしているだけかもしれません。 詩人ボードレールが「休みなく酔っていなければならない」と書いたのと同じ構造です。 (ボードレールの回もあわせてどうぞ)

「人生が私たちに何を期待しているか」

では、意味はどこにあるのか。フランクルは『夜と霧』の中で、収容所の極限状態を振り返りながら、 問いの向きそのものを変えることを語っています(筆者訳・要約)。

大切なのは、私たちが人生に何を期待するかではなく、 人生が私たちに何を期待しているか、なのだ。

V. E. フランクル『夜と霧』(原著1946年)より、筆者訳・要約

「自分の人生に意味はあるのか」と問い続けると、答えは見つかりにくくなります。 フランクルは、意味は頭の中で探し当てるものではなく、目の前の状況から問われ、それに応えることの中で見えてくるものだと考えました。

この姿勢を支える言葉として、フランクルはニーチェの 「生きる『なぜ』を持っている者は、ほとんどどんな『いかに』にも耐えられる」を引用しています。 (ニーチェの回でも扱っています)

意味を見出す3つの道

フランクルは、人が意味を見出す道を3つに分けて説明しています。

① 何かを生み出す・行うこと

仕事や作品を通して、世界に何かを差し出すこと。支援職にとっては、日々の支援そのものがこれにあたります。

② 何かを体験する・誰かと出会うこと

美しいものに触れる、自然の中を歩く、大切な人と過ごす。役に立つかどうかとは関係のない体験の中にも、意味はあります。

③ 避けられない苦しみに、態度を選ぶこと

どうしても変えられない状況に置かれたときも、それにどう向き合うかを選ぶ自由は残っている、という考えです。 ただしこれは、避けられる苦しみを我慢しろという意味ではありません(下の「限界」を参照)。

支援職の空虚感は、意味の置き場所が①の「役に立つこと」だけに偏っているときに強くなりがちです。 仕事が途切れると、意味ごと消えてしまうからです。 ②の「体験」に意味を置く時間を持つことが、日曜神経症から抜け出す手がかりになります。

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よくある誤解と、この思想の限界

誤解:「刺激と反応の間には空間がある」はフランクルの言葉

この言葉はフランクルの名言として広く出回っていますが、フランクル自身の著作では確認されていません。 自己啓発書などを通じて広まったものです。 考え方としてはフランクルの「態度を選ぶ自由」と通じるところがありますが、本人の言葉として引用するのは避けたほうが安全です。

限界:「意味」を我慢の理由にしない

「苦しみにも意味がある」という言葉は、過重な業務や理不尽な職場環境を我慢させる理屈として使われてしまうことがあります。 フランクルが語ったのは、避けられない苦しみへの態度です。 変えられる環境なら、意味づけで耐えるより、変えることを優先してください。

明日からできること

① 休日の「沈み」に気づく

日曜の午後や連休に気分が沈むなら、それを「怠けている」と責めずに、忙しさで見えなかった空白が見えていると受け取ってみてください。気づくことが出発点です。

② 「体験」に意味を置く時間を持つ

何かを生み出さなくてもいい時間——散歩、音楽、料理、誰かとのお茶——を予定に入れます。 役に立たない時間にも意味がある、と体で覚えていくことが大切です。

③ 問いの向きを変えてみる

「自分の人生に意味はあるのか」ではなく、「今日、この状況は自分に何を求めているか」と問いを置き換えてみます。 大きな答えではなく、小さな応答の積み重ねが意味になっていきます。 (「働く意味がわからない」状態が続くときもあわせてどうぞ)

よくある質問

Q. フランクルの「実存的空虚」とは何ですか?

A. 生きる意味を感じられず、内側が空っぽに感じられる状態を指す言葉です。精神科医ヴィクトール・フランクルが提唱しました。主に退屈や無気力として表れるとされ、フランクルは現代人に広く見られる状態だと考えました。病名ではなく、人間が意味を求める存在であることから生じる状態として説明されています。

Q. 「日曜神経症」とは何ですか?

A. フランクルが英語版『Man's Search for Meaning』(『夜と霧』の英訳)の後半に加えたロゴセラピーの解説などで触れている言葉で、忙しい1週間が終わり、日曜日に慌ただしさが途切れたときに、自分の生活の中身のなさに気づいて落ち込む状態を指します。正式な診断名ではありませんが、休日になると気分が沈む、空っぽに感じるという経験をうまく言い表した言葉です。

Q. 「刺激と反応の間には空間がある」はフランクルの言葉ですか?

A. フランクルの言葉として広く紹介されていますが、フランクル自身の著作の中では確認されていません。自己啓発書などを通じて広まった言葉で、出典がはっきりしないまま本人の名言とされている例です。この記事では、フランクルの著作で確認できる考えだけを扱っています。

Q. つらい職場でも「意味を見出せばいい」ということですか?

A. そうではありません。フランクルが語ったのは、避けられない苦しみに対しても態度を選ぶ自由がある、ということです。避けられる苦しみ、たとえば過重な業務や不当な扱いを、意味づけで我慢することを勧めたものではありません。環境を変えられるなら変えることが先です。

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フランクルの著作からの引用は、出典を明記したうえで筆者が翻訳・要約した短い一節に限っています。本記事は思想を手がかりに支援職の心理を解説するもので、医学的な診断や治療に代わるものではありません。